お針子 作業部屋

  帰国したお針子です

ダラダラ長い職人考

とある製菓会社のニュースを目にしたので、畑違いではあるけれど忘備。

念の為に書きますが、この件での労災認定を受けた20歳そこそこの若者について言及しようとしているのではありません。
心と体が痛んだ状態で働き続けるのは、本当につらかったでしょう。
彼自身や彼のご家族を思うと、かつてワタシが修行した時の同僚や後輩についても他人事ではなく、割り切れない思いもあります。
大会社の理不尽は、事実だとすれば許せないこともあるでしょう。


ただ、職人の仕事と、今はごく普通に提唱されるコンプライアンスと言う横文字は並べるのが難しいという事を理解できないと、修行することは不可能に思えます。
職人は独り立ちすると基本がフリーランスなので、同僚や先輩後輩でも、同業のライバルです。
その門をくぐれば笑顔で迎え入れられるモノでも、誰もがただで手に入れられるようなものでもないと知っておく必要があると思うのです。

特に職人不要を唱えて不買をコメントしておられる方が多かったコトに驚きました。
それとこれとを並べて考えることが今の世の潮流で、ソレが果たして正しいのか、深く考えての意見なのか、本気で悩んでしまう。




遡るコト30年。修業時代に かつて職業訓練校で言われたコト。

どんな商品も一日一枚縫う。
8:00開始と書いてあるからと言って8:00に席に座って仕事を8:00から始められると思ってるのか。
70%で一般の人が問題ないのなら、残りの30%は早さに回せ。
「出来ない」とは言ってはならない。やるのだ。
20年前の先輩は、一日2枚縫っていたから羽織やコートは半物と言う。
(コレ、言われたのがすでに30年近く前なので、今で言うと50年前の先輩のコトになる)


後半ふたつはとにかくスピード重視の時代ゆえの発言っぽいけれど、この発言に至ったシチュエーションもよく覚えてる。


そもそも
和裁士を名乗るには国家検定と言うのがあって、これに合格せねばなりません。
ワタクシが修行していた頃は、2級と1級がありました。
年に一度行われるこの試験の2級受験は、和裁士を目指すなら当然とされていました。
内容は、事前に一定の作成過程まで準備しておき、そこから完成させた仕上がりを評価されると言うモノ。

国家検定を受験するには規定の実習時間をクリアしている必要があり、2級の受験をするのに大体2年かかります。
1級には6年で、当然 試験内容は変わります。

(試験内容)

種類     袷長着
   
準備する箇所 表身頃襟付け前まで
       裏身頃襟付け前まで
       右袖

途中まで仕立てた↑の状況から、試験会場で一斉に縫い始めて6時間半で袷長着を完成させ、本畳みの状態で提出する。
(今も同じなのかどうかは知らないけど、ワタシ達の時はこうだったような記憶。
記憶が違ってたらごめんなさい)

提出する前に
・仕上がった作品に針などの混入のないよう使った針やハサミをしっかり点検。
・皺のないように丁寧に畳み、スッキリと見えるように敷き紙に挟んだ長着に少しでも圧しを効かせる。

コレらも時間内にせねばならないので、6時間程度で作品を仕上げるだけの縫いの速さが必要と言われていました。
(針が入っていたら落ちると言われていた)


あとはこの受験にはペーパー試験もあるとかなんとか。
(これは地域によって違いがあるのかもしれない。ワタクシの場合、職業訓練校で規定実習時間をクリアしていたので免除でした)


緊張して針に糸も通らない状況での受験なので、普段のスピードで縫うなら問題なく出来上がるヒトでも、トラブルがあったりポカをするのが人間と言うモノ。
試験中に右袖をもう一個作ってしまったり、裏の襟と表の襟の長さを間違えてしまったりはよく聞いたものです。

ワタクシ達の試験の際には、縫うのに絶対必要な「懸吊機(けんちょうき)と掛け針」という道具を運んでくれた営業さんが、荷物を降ろさずに帰宅してしまったというトラブルに見舞われました。
何人かは別の車で運んでもらっていたので無事でしたが、ワタクシを含めた10人くらいが最初の15分くらいをお道具なしで縫いました。

年に一度の試験で、会場で自分たちのお道具を探して見つからなかった時の焦りは「まさかそう来たか!」と笑いが込み上げてくるレベルでした。
当時のコトゆえすぐに連絡もつかず、引き返してもらっていては間に合わないので、別の営業さんが仕事場にあったお道具をかき集めて試験場に運んできてくれました。
結果は例年通りの合格率で、懸吊機紛失による時間切れで試験に落ちた受験者はいませんでした。

どんな状況でも一回のチャンスをこぼさずに掬い取るには、万遍の普段の修行が必要になるんだと、この時に本気で思いました。
ちなみに、職業訓練校で当時普段やっていた練習と模擬試験は、両袖を縫った長着を8時間で縫い上げるコトでした。
コレが出来れば、6時間半での試験内容にスピードで後れを取ることはありません。

一日一枚。
景気の良い時代とは言え、それだけの着物を縫うコトが出来て、ワタシは本当に幸せでした。
在校期間の5年のうち、ワタクシは「仕上げ」と呼ばれていた納品前の検品作業を2年ほどしていたので、関わった商品の量は数千枚に上ると思われます。
当時の同僚和裁士よりも縫った量はずいぶん少ないですが、その縫い上がった品をまとめて仕上げる作業をしていましたので、一日に数十枚の品を手に取っていたからです。


自分を常に試し続けるには、甘えを内包した自身では限界があります。
自分以外の誰かに追いつめられて発奮することだって大いにあります。
そんなものを必要としないくらい強い自分をお持ちなのですか?

体調がイマイチでもトイレに行く回数を規制されたり、仕立てでわからないことを先輩に聞いて作業中にどやされたり、「何故できないのか」を就業時間に呼び出されて正座で2時間の説教を受けたりしても、一日にやるべき仕事の量は減りません。
一見理不尽に思えることも、ただただ淡々とこなしていくだけ。

トイレに立つ回数が多いと、直近で仕事をする他の職人の集中を削ぐ。
作業中に分からないことを聞くのは、先輩職人の手を止め邪魔をするに等しい。
「何故できないのか」を考えられないということは、自分の力で解決する力を養えないということ。

全体像を把握して、先回りをして工程に道筋をつけることで、安全やレベルの高さを維持できる。
ソレが職人なんだと思います。

職人集団と言うのは、一種異様です。
特定のスキルのみに特化したヒト達が多いので、ソレ以外はポンコツなのに仕事になると圧倒的なヒトもいらっしゃいますし、気性の荒いヒトや我儘なヒトも多いです。
当然と言えば当然かもしれません。

周りがどんなでも、自分自身の納得を得るためには自分が突き詰めていくしかないのです。
収入に結びつかない努力もたくさん必要です。
頑張ったことの成果は、自分が頑張った事実だけです。


そんなことでは生活に困窮するし、家族を養えないから他の仕事で副収入を得るしかありません。
こんな状況では、誰も職人になれと強要することは出来ません。
だから職人が消えていくんです。
だから今は、職人という名の、誰かに管理されたがるサラリーマンが多いんじゃないかと思うのです。
コレをブラックと感じるヒトがそう言うなら、きっとそうなのでしょう。


と、ここまで書きましたが。

消えゆく職業として研究結果の出た「職人」と言うジャンル。
必要が無いから無くなってゆくのだと理解はしていますが、想像力の少なさから無駄認定しているのだとすれば、何とも切ない気持ちになります。