世間ではおばちゃんの年頃でも、母からみればいつまでもムスメには違いなく。
オットには自分の時間を有効利用してもらいたいので、
頂くモノを頂いた後に、帰省は彼だけ早く切り上げて神戸に戻ってもらった。
実家の父母も70を超え、体の不調も節々に表れている。
「私らが生きてる時にしか、今みたいには帰って来られへんでな」
これは母の口癖。
実家に放りっぱなしになっているワタクシの所有物を引き揚げろとのコトから。
いろいろ放置されたあんなモノやこんなモノを、姪っ子が掘り起こして宝探しをしてるらしいw
漫画から小説まで、何百冊という書籍が眠ってるはず。(見られてマズイものもあるんだけど〜w)
それはそれでイイ気もする。
昔の成績表(それこそ小学校の頃からの)や、学生時代の教科書はもちろん
おもちゃや服まで保存し置いてあるという事実が、
田舎の広い敷地を示してるわけなんだけども、それもいずれ兄の代となれば、
兄妹といえども勝手に持ち出すことは叶わぬというコトらしい。
勝手に始末されて困るものは、もはや実家には残して無いと思うのだけれど
代替わりした後に「始末の悪いムスメの物が残っている」という事実に
母の肩身が狭くなるのは申し訳ないので、ちょこちょこと引き揚げて来ている最中なのだ。
しかしながら、義姉は本当にさばけた性格のヒトで
義理とはいえども姉妹となって20年、義姉との関係はいたって良好だし、
母屋の蓄財や所有物に関しては、
「おカーさん達の代でなんとかしてくださいね」と
いい意味ではっきりと言い放つようなタイプなので、
ヒトの持ちモノへの所有権をあらわにするところを想像するコトすらできない。
ワタクシ自身も
「実家の農地だの財産だのというものについては長男が継ぐのが普通で、
家を出た身は放棄が当り前なのだから」と育てられたので
もとより相続権などないと思っている。
だからこそ、だからこその母心で「早く引き揚げろ」なのだろうと思う。
でもね。物事には不可能というコトもあるのですよ。
物のない時代に、兼業の自営を興したばかりの貧乏農家だったので、
あるものは大事に大事に大事〜にするのが当たり前だった。
ワタクシが幼児の頃に着用していた浴衣とか全部取ってあって
「○○(ワタクシのムスメ)にどうやろか?」と出してくるってレベルからの話で
それはもう膨大なワケで。
義姉のさばけた性格*1が、こういう母からすると少し冷たくも感じるコトもあるようだけれど
ムスメには言えないはっきりとした物言いが羨ましく感じる時でもあるw
田舎の敷地は広すぎる。
農家だから当り前のように倉庫や物置が二つも三つもあって、
もはやワタシにも、どこに何がしまってあるかわからないw
対する神戸の家の敷地は、実家の何十分の一程度しかなくて
いらないものを置く場所は無いの。
あぁ、ホントにどうしよう。
*1:要らないモノは要らないと言い、要るモノははっきり欲しいと言える。教育者としては素晴らしい資質だと思う