お針子 作業部屋

  帰国したお針子です

新聞を読む。

朝刊を取っている。
主たる利用は折り込まれるチラシの為であるのだけれど、もったいないので読む。
本末転倒とはこのコトか。
(オットは基本的にネットニュースで情報収集している)

一介の主婦には、おかずの買い出しチラシは身近で有益だけれども、
政治の世界は遠い。その上ちっとも楽しくない。


次から次へと下手を打つ政治家やその人達を先生と呼ぶ周囲にも、
できることならお近づきにはなりたくない。言葉通り遠くにいてほしい。
ただし無縁ではないことは知ってるし、
自分が大事に思ってるこの国の舵を取る人々の動向は気になるから、
理解するために熟読しようとするが非常に疲れる。甘いものが食べたくなる。
そして世界情勢や日本経済や政治の斜陽ばかりが目に飛び込むから気も滅入る。
新聞を読むのには視力だけでなく体力が必要だ。


もともと政治討論や評論の番組は好んで視聴するので、字面になっていても
何を言わんとするか概要程度は理解できてると思うのだけど、
それでも文章を読み解くのは、見聞きするだけよりも頭を使うような気がする。
嗜好に合った小説なんかとは違って、好まない展開ばかりだからかもしれない。


さて。そんな新聞だけれども。
週末のお楽しみ付録みたいなのが面白い。
少し前に冲方丁さんのコラムが掲載されていたのを読んだ。
彼は幼い頃からご家族での海外暮らしが長かったらしく、当時の記憶を書いておられた。*1

特に印象深かったのは、
違う言語なのに同じ響きと同じ意味を共有する言葉の存在のお話。

日本語で言う「なまえ」「namae」が英語では「name」と言うように、
ほかの言語でも「名前」の意味である言葉を調べると
NとMの他、AやEなどの母音で構成される言語がいくつもあったと。

オットも、たまたまこのコラムを読んで
バベルの塔を思い起こさずにはいられない」と言った。

本当に、人間はかつて、同じ言葉を喋っていたのかもしれない。


言葉の壁は高く大きく、差別や諍いがそのせいで起きたコトもあるだろう。
同じくすれば争いや行き違いは減るのか?
いえ、そうは思わない。
近しさは、親近感だけを増やすワケじゃない。
だから神罰は下ったのだから。



新聞で見る、言葉の違う人々のうまくない出来事を紐解けば
やはり自分さえ良ければ、って気持ちが溢れて見える。
言葉だけでなく性根の違う民族間の摩擦や軋轢を
何を分かった風なコトを!と思われるかもしれないけれど。
どこまでいってもやはり基本は自分の権利のごり押しが原因なんだろう。

周囲の圧力や摩擦にすべて勝つ必要はない。仲良くするのでもない。
負けないようにする。それが国を大事に思うことだと思ってる。
その国のネジとなる決心一つで、きっと全部が良くなる。
今は小さいたった一つでちっとも変ったように見えなくても、
世代交代の頃に少しでも上向く為に、今ワタシがどこのネジとなればいいのか。
そんなコトを考えつつ、今日も読む。

*1:調べたら「作家の口福」というタイトルでした