お針子 作業部屋

  帰国したお針子です

自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない

昨日はムスメの日本語補習校の卒業式だった。
今回の卒業生は小学部が一人、中学部が二人の計三人。
週末に、現地カレッジの校舎ビルをワンフロア間借りして年間で37日間ほど行われる。
たった37日で、日本の学校に戻った際に必要な学習を詰め込む。

国語と算数や数学をメインに履修するのだが、教科書は文科省から配布される標準のものを使用する。
ムスメの通う補習校は少人数運営の補習校の為、文科省からの教師派遣条件に達していない。
在校生の学習に必要な教師は、赴任家庭の保護者が現地日本人に向けて募集を掛けたり、
現地補習校で雇用されている教師の縁故を辿って留学生を雇用して教員を確保している。
確保できない場合、最終的には保護者が教科担当になったりすることもある。
そう。場当たり的な人員確保で補習校の教員は教員免許を持っていない方が多いんである。

日本でも先般 問題になっていたが、教員免許を取得していない教員にどれだけ教わっても、
履修を認められないのが日本の教育機関のシステムで、海外でこの条件をクリアするのは、ほぼ無理。

海外で日本の学習を必要とする子供たちがどのように必死で学習を進めても、
卒業証書は修了証として認められない。
切ない事実ではあるが、子供銀行の金券と一緒の扱いなんである。




子供たちは、平日は現地の公立学校で一般の米人と学習している。

未就学や小学校低学年の年齢で渡米した子供たちの英語習得は親もびっくりの速さ。
難しい概念の言葉が少ないというのもあると思うが昨日今日と語彙が増える。
母語ではない言語で新しい知識を学習し、宿題をこなし、課外活動にも参加している。

そんな環境ゆえに、日本語補習校はある意味高学年よりも重要と言える。



一方、中高生になると英語の習得は がり勉一辺倒しかない。
蒔かぬ種は生えぬ。

言語発達の時期に日本語の種しか蒔いてないのだからしょうがないのだが、
学術的な単語やコミュニケーション単語が幼少の子供より格段に難しい。
更に言葉が全く追い付かない状況で新しい単元を学習するのは、
日本である程度先行して知っている単元でも至難の業。宿題もドンドコ出る。

年少児童のように遊びから繋がる年齢でもない。言葉の通じない孤独感も半端ない。
その状況で毎日6時間の授業を受けるのは、鋼のメンタルが必要だ。



更に、現地で生きていくダブルの子供たちに至っては、母が日本人であると言うだけで、
米人には必要のない日本の勉強を続けている子たちだ。
この先の進路は米国にあるとわかっていながら、週末に通学する重要性が見い出せず、
中学卒業まで続けるのは、親子ともども本当に根性がいる。

ムスメの通う補習校は幸いにしてウチからは近距離だが、アメリカの国土は広いので、
週末の補習校への通学に車で小一時間とかはザラなのである。




平日通う現地校は、普通のアメリカの公立校。中西部の田舎なのでこれ以外の選択肢が無かった。
義務教育はG12(グレード12)の高校まで。
国籍関係なく公立学校で履修した学歴は最終的にdiplomaとして授与してもらえる。
(学年途中で帰国する場合でも、該当グレードで取得した履修ポイントは成績表として出してもらえる)

単位式なので、必要なポイントを取得できないままG12を迎えると大変なことになるが、
反対に日本よりも柔軟なので、G9でも優秀な生徒は先取先取りでポイントを重ねていけて、
アドバンスクラスを取って高校時代に大学の単位を取得することもできる。
(日本の数学は違うやり方を学べて、相当の意味があると言っていた)




現地の勉強を平日に、日本の勉強を週末に。
多感な時期に過酷なコトだと思うが、この年齢だからこそ乗り越えられるのかもしれぬ。
日本では紙切れ扱いでも、当人や親からすると汗と涙の滲む思いでようやく得た大事な卒業証書だ。

当日は たった三人の卒業生なので、答辞は全員が用意して読んだ。

ムスメはその中で、一方からの見方では全容が測れないと言った。


親の影響を受け、友達に影響され、誰かに影響を及ぼす。

身に付けた教養は嵩張らない。
目には見えないたくさんのツールを携えて、多方面から見る必要性を知り、それを把握する知恵を持っていれば、
この先どこでも生きていけるような気がする。



アンテナでもチェックしたのだけど、東大教養学部 卒業式式辞についてのブログが読みやすい。
東大卒業式の式辞が深いと話題に「善意のコピペや無自覚なリツイートは......」(全文)
https://www.huffingtonpost.jp/2015/04/08/tokyo-university-speech_n_7022498.html


原典はコレらしい↓
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/history/dean/2013-2015/h27.3.25ishii.html

当日列席したわけではナイので、当然のコトながらコレが読まれたと言う確証はないのだが。(笑)