お針子 作業部屋

  帰国したお針子です

年末年始事ノ顛末。

コレは、年末年始を流行病に翻弄されたオンナの日記・・・w

ワタクシ自身の忘備録にすぎず、よそ様には無駄に長いだけでございます。
もし目を通していただけるなら、目の為にも斜め読みをお勧めいたします。


そもそも昨年末、恐れ多くもワタクシの誕生日でもある12月の祝日。
なんだかバタバタと特急品が入って年賀状制作に着手できぬまま
必死で何とか縫い上げたと思ったらムスメが発熱。
せっかくの連休&クリスマスを看病で費やした。
お腹の風邪だったから、徹夜明けで楽しみにしてた外食も不可能。
ワタクシがっくり。
どうしても元旦に届けたいフォーマルな年賀状作りに勤しむ。
そんな中でムスメ回復。



神戸市の2学期終了は連休明けの25日。
ムスメは最終日の登校はできたのだった。

その日、新たなる仕事の依頼が舞い込んだ。
年明け一番の納品である今回の振袖。
しかしまだ悉皆屋さんから上がってきてないという品。
26日には到着するという。
その隙に、遠方への年賀状を仕上げるコトができたので、
緊急を要する年賀状だけは25日までに投函完了。

毎度のことながら年末年始の主婦の忙しさを全く考慮する気はないようなので
「年明けと言われても11日金曜に納品予定ですよ?それより前はムリです」
と、保険を掛ける。



かくして26日。
商品を受け取りに寄ったが当然のように「まだ届いてない」の返事。
焼けがひどいので時間がかかった様子。
でもそんなコトはワタシには関係ないのだ。問題は商品が有るか無いかだ。
その後、遅くなったからと社長の息子さんが自宅まで届けてくださった。



27日。
ムスメの学校の友達のママの一人が「ちょっと遅いクリスマス会」にかこつけた
‘打ち上げカラオケ’を計画してくれたので、午後からムスメは出かけて行った。
仕事と年賀状と大掃除にバタバタなワタクシは、もともとカラオケが好きではないので
申し訳ないのだけれど送り迎えのみ参加。

換気扇の取り換え工事を年末に入れてたので、業者に入ってもらえる程度に
玄関やリビングキッチンの掃除もしつつ、商品のチェックと年賀状の印刷を同時進行。

その夜遅く。
ムスメが言った。
「おかーさん・・・気持ち悪くて吐きそう・・・」

そう。
ムスメは流行りモノが大好きなのだ。
しかも都合の悪い時にこそ体調を崩す。

最初は食べすぎかと思った。
早めのお昼ご飯を食べた後、カラオケでも飲み食いしたらしいし
その後帰宅してから夕飯もしっかり食べていたから。

が、彼女は23:30以降、朝の5:30までで10回ほどの嘔吐を繰り返した。
水分補給をさせようにも、嘔吐の間隔が早過ぎて補給させられない。
ちょっと離れようとしても、ムスメは不安がってワタクシを離さない。

オットはまだ年内の出勤があるので、ムスメと離れて寝起きしてもらう。
トイレに寝具に手洗いにと、買い置きしてあったハイターが大活躍。




嘔吐が一段落して、水分補給ができるようになったと思った28日の午後、
日がずいぶん傾いた頃に下痢が始まった。

その途端に唇や肌がカサカサになった。
嘔吐よりも下痢の方が水分を多く放出してしまうのか?

ノロウィルス罹患は確実だろうという思いから、病院へ向かうコトをためらったが
このカサカサっぷりは水分不足確実。大地で言うトコロの砂漠だ。
脱水は回避できそうにないので、かかりつけの小児科内科にお伺いを立てる。

「すぐ来てー」

大急ぎでムスメの使った場所を清掃と消毒し、小児科へ向かう。
開始と共に到着したが、すでに順番待ち状態。
ムスメは点滴を受けた。点滴2パック。
5時過ぎから開始で終了は10時半・・・
馴染みの看護師さんからは「ねー、すぐ来て正解やったでしょー?」と。

遅くまでホントに申し訳なくて謝ると
「ん?今日はまだ早いよー。日付がまだ今日やし」
そう言いつつ、他のスタッフに「明日は絶対9時には帰ろうね!」と誓い合っていた。

その明日って言うのは土曜日で、午前診療だけの日なのに・・・
世の中の個人医院(特に小児科)って有難過ぎる。

精算を済ませて、何度もお礼を言いつつ後にした。


帰宅すると、当然だけれどオットが帰ってきていて、作り置いたカレーを食べていた。
消毒しすぎで手も爪もボロボロだが、家族に移さないように必死だった。

ムスメは点滴を受けて、既に出すモノはないので顔色が良くなり唇も潤っていた。*1




29日の午前中、換気扇の取り換え工事を敢行。
業者さん達が罹患せぬように、ムスメ隔離、清掃消毒の上で
家に入ってもらう。
お昼前に工事終了。素晴らしい!
新品の換気扇はなんだかとてもココロを癒してくれた。

午後になってムスメは「お腹がすいた!」と。
ほぼ絶食だったので、油ものや肉類はダメ。柑橘類、乳製品もダメ。
新品の換気扇を回して、ゆるゆるのお粥を作る。ちょっとウキウキ。


が。
その夜早い時間に
オットが「コレはまずい・・・気持ち悪い」と。
で、オットも罹患確定。

正月どころではなくなってきたが、次々と倒れる家族を前に
消毒と掃除の手を抜くわけにもいかず、ただただ淡々と・・・
ムスメはひたすら空腹を訴えるし、オットはまだまだ典型的症状の真っ最中。
この時点でワタクシ、ほぼ2日徹夜。そろそろふらふら。


お正月を実家で迎えるために、31日に帰省予定だったのだが、
感染率の高いウィルスなので、今年は遠慮させてもらおうかと思うと言うと

「・・・・そうか・・・」

寿命が縮まるんじゃないかと思うほどの、実父のがっかりした声。




31日にはオットも症状が落ち着いたが、発熱は止まず。
実はワタクシもその頃に発熱。38.5度を下回らぬまま、家事と看病。
食欲のないオットとワタクシはほぼ2日絶食。
回復中のムスメの為にだけ、脂分と肉類控え目の正月っぽい料理を作らねば!



明けて1日。元旦。
ありあわせの材料で鳥の炊き込みご飯とお吸い物を作る。
ずっとうどんかお粥で我慢していたムスメ、大喜び。
もうすっかり出すモノは正常な状態。

毎日心配して電話をかけてくる両親が、ついに「こっちから行くわ」と言い出したので、
ある程度症状が落ち着いた後、サッと行ってサッと帰ると申し出る。

とりあえず2日の夜に伺うわ、と言うと「気を付けてな」と。

何事もない1日と2日前半が過ぎ、ウィルスの災いも2012年と共に去ったのだった。



2日。
実家に着くと、母が高血圧で具合が悪そうだった。
孫ムスメに会うのを楽しみにしてたのに、本当に残念そう。
毎年お正月用のお節を実家に送っているし、母も煮しめなんかを作ってくれてるので
食べるものはそれなりにある。
雑煮や汁物、サラダなんかの付け合わせを準備するだけだけど
ワタクシはココでもおさんどん。

実家の畑で大根を抜き、白菜を切り取り、里芋を冷たい水で洗う。
あぁ、実家だなぁ。
父母は年をとったなぁ。

おそらく、バタバタしてるワタクシ達家族を思い、心配し
体調を崩してしまったのであろう母。
申し訳ないコトだった。
元気でいるコトが、お互いの一番の安心なんだろうなぁ。



3日深夜に神戸に戻ったが、怒涛の年末年始に体が付いていけない。
もう年だ。
20代とも30代とも違う、このしつこい疲れ。
副鼻腔炎のいつもの鈍痛と、ドライアイによる見えにくさは普段よりもひどかった。
針に糸が通らない。納期モノなのに、ホフク前進。



8日。
あまりの見えにくさに諦めて、ついに眼科受診。

「黒目の部分、タダレてますねぇ。ちょっと乱視と遠視が入ってます。
            とりあえず目薬で治療開始しましょう」

乱視は生まれて初めて言われたし、遠視=老眼だとも思うのだが、
先生曰く
「その可能性は大いにあるけれど、まだ言い切れない。
  加齢によって状況は変わるから、移行期に乱視状態になるヒトは結構多いよ。
   病み上がりで調子が悪いコトも関係するしね」

目の視力検査によると
今も1.5以上は見えてるようで、矯正の必要な遠視や近視ではないらしい。

で、ドライアイ対策にヒアルロン酸の点眼薬で様子見。
はっきり宣告されてシニアグラスを買いたいトコロだったのだけども、
大鏡の利用は目の本来の機能を低下させることにもつながるから、と。


その後。
点眼を一日に数回しているだけで、目の見え方が回復してきたのか
糸を通すのが当たり前のようにできるようになった。
うーん。
やはりドライアイが原因だったか・・・





そもそも年末に風邪をひいたムスメが、免疫低下状態でどっかから
流行病をもらってきたコトが上へ下への騒動の発端ではあったのだけども
年末という時期の悪さが、主婦にとっては大打撃。
正に寝る間もない状況となりました。

反面、オットもムスメも冬季の連休に入ってからの不調で
仕事も学業も遅れるコトなく、一番良い形で収束を迎えられたワケであり
万人にとっての都合は、一致などするコトがないと実感した次第であります。


そうそう。
結局ワタクシは嘔吐も下痢もないままでありました。
一人、次亜塩素酸で手を荒し、家じゅう拭きまくった結果なのか
それともただ単に軽くすんだだけなのか。今も謎。

*1:カラオケに同行した連絡の取れるお友達に確認したが、感染を想定される日時に、他のヒトは問題なかったらしいので胸をなでおろした。よかったよかった