カップが割れただけなのだけど。
2週間の自粛後、神戸に戻って数日経過。
成田近辺で2週間居たせいで、既に引っ越し空輸便は関空に到着していてワタクシたちの帰着を待っている状態だった。
預入手荷物の160センチサイズスーツケースが4個と、120センチサイズスーツケース1個も6/26着指定で発送していた為、神戸に付いた翌日昼には我が家は荷物で溢れかえっていた。
本日それらをようやく分別完了した。(オット宛のモノはヒト箱にまとめてはあるが)
これから受け入れねばならない大量の物品を一挙に整頓をする為に空間をあけるべく、不用品を選別しながらの整頓はなかなかの大仕事で、stay homeを余儀なくされた3月以降、運動不足が甚だしい我が身にはツラい。
もともと物を捨てるのが苦手な我が家のメンバーに、この作業は精神的にも重労働なんである。(まだちょっとしか捨てていないのに)
ただし、2016年の7月5日に日本を離れて以降ほぼ毎年夏場に帰国していたとはいえ、既に使えなくなっている物品も多いので選別する目安にはなっている。
きちんと整頓をし始めると本当に疲れる。もはや丸ごと捨てたい気持ちとの闘い。
もともと物持ちが良いせいもあり、大量のタイムカプセルを開け続けなければならない作業中なのである。
一つ二つは楽しいけど、罰ゲーム感半端ない。(^^;
そんな今日。
NYへの漢検の旅で購入し日本に帰ったら使おうと大事に持ち帰ってきたカップを、落として割ってしまった。
「とりあえず置き」していた食器棚を整頓していて手を滑らせてしまった。
空輸に耐えて割れずに日本に着いたのに、ワタシが落として割ってしまった。
低気圧のせいなのかアレルギーのせいなのか、数日おきに頭痛がしていて、もう掃除をするのも嫌になってしまい、今日は泣きながらふて寝した。
残したいと思うモノほど儚くて、廃棄してもよいかな?と思っているモノはずーっと残っちゃう法則発令。こんな時に起きなくても・・・
夕刻ようやく復活。
カップはスタテンアイランドから戻ったフェリー乗り場で購入した。
ニューアークの空港にも同じデザインのモノはあったが、色はフェリー乗り場の方がたくさん揃っていた。
何よりもニューアークはNJ だし、とNYで買ったコトに満足していたのだった・・・
I ♡ NY と書いてあるだけの8ドルくらいのカップなのだが、10色くらいある中から選んだ思い出深いカップなので、金継を試してみようかと思う。
いよいよ明日
今日でようやく入国後2週間。
明日はついに関西に移動。(入国翌日から起算して2週間後より公共交通機関での移動可なので)
家人は今日が現地の仕事納め。(時差があるから現時刻で6/23)
明日帰国の途につく。
ワタクシ達は帰国後、入管→検疫→検査結果待ち(2泊)→陰性を経て、巡回バスで宿泊予定のホテル近辺で降ろされて以降、ホテルに缶詰めになってる。
自主隔離期間のこの2週間(正確には現時点で12泊)、毎朝ほぼ同じ内容のお弁当で、なかなかツライものがあった。
家人に至っては6/3の夜からホテル暮らし。
しかも米国でもショボいご飯しか食べていないので、なんだかもう気の毒で。
時間を戻そう。(このネタ誰だっけ?)
6/3にアメリカでの住居を引き払うべく、日本への海外引っ越し便をN通さんにお任せし日本向けの家財は引き払ったので、帰国日まで宿泊するべく現地ホテルを予約していた。
電気やガスはあったとしても、家財の無くなった家で寝泊まりするのは食事の面でも難儀なのでホテル泊にしたのだった。
普段なら朝食会場でサラダやソーセージやベーコン、パンやシリアル等がバッフェ形式で提供され、曜日によっては夕食も利用可だったりするホテルなのだが、このタイミングなので飲食スペースは閉鎖されていて、提供される朝食は現地スーパーなどでよく見るレンチンのハンバーガー2種類(多い日は3種類)だけで飲み物の提供も無かった。
レンチンバーガーと共に、自室や職場に持っていくための小さな紙袋が置いてあり、これに詰めてどこかで食べろとのメッセージが込められていた。
ここを何度か利用していた家人は「おもてたんとちがう」発言続出。
エッセンシャルワーカーの人員が減った為に限定的業務で運用されており、更にソーシャルディスタンスを守ろうとする動きは、このホテルに限ったコトではなかったので ある程度想像は付いていたが、ホテルのランドリールームもcloseされていたりと普段とは全く使い勝手が変わっていたので、ワタクシ達が先行帰国後、まだ2週間以上はこのホテルに宿泊せねばならない家人にとっては大問題だったに違いない。
ウェルカムサービスは辛うじてペットボトルの水を貰えたが、その後連泊で提供されることは一度もなかったし、家人は今もそこに連泊中だが、朝食サービスが再開されるコトもついぞ無かった。
家人は「パティオのプールは再開されているのに、なぜ?」と何度も言っていた。
あっちもこっちもyou’re fireしちゃって人員が足りないからさ・・・と、笑うしかない。
ちなみにこの状況で宿泊する方にも問題はあるかもしれないので大声では言えないが、一泊料金は同じだったりする。
また、洗濯については引っ越し後も契約期間はまだあったので、ドングリの木の庭の家の洗濯機を使って洗濯していた。*1
ガレージセールなどで処分を予定していた物品は6/3になってもまだ残っており、家財の処分や荷造りの為に毎日戻っていたので特に苦に思うコトすらなかったし、リスたちやドングリの木と別れを惜しむ良い時間だったと思います。
さて、サンルームの一角に集めて「DON'T MOVE」の貼り紙を貼られ貰い手探しを続行していた家財たち。
日本人は土足では生活しないし家具も大事に使うと知っている米人には、日本人赴任家庭のガレージセールはいつも大好評なのだが、このコロナ禍ではガレージセールも出来ない。なんとタイミングの悪いコト。
更に新規VISAの発給がなされないので新しい赴任家族が来る予定もなく、来年再来年には帰国を控える赴任家庭に引き取ってもらうのも気が引ける。
結局、時間もなかったのでほぼ投げ売りの状態で手放したが、現地の友人達が「こんな時期だから出来るだけワタシ達が処分の助けをするね!」と、自分たちが買い取ってくれるだけでなく、知人に連絡を取って紹介してくれたり、運ぶのを手伝ってくれたりした。
残ったら全てgoodwillに持ち込むつもりだったし、どこかの誰かが我が家で活躍した家具を引き続き役立ててくれるのが嬉しかった。
家具はIKEAの品が多く、今までの赴任家族が捌いていた金額からすると「価格破壊ですよ!」とお叱りの声を頂きそうだが、大体1/4から1/6位の設定で。
150ドルの冷凍庫は屋外用延長コード付きで25ドルだったし、30ドルのガレージ用の棚とかは他の品を買い取ってピックアップに来てくれたヒトにおまけで差し上げた。
最後まで手伝ってくれた友人には3年使った中古のダイソンボールを貰ってもらった。*3
何から何まで中古を嫌がりもせず知り合いが引き受けてくれた。ホントに感謝しかない。
中でもワタクシ達が米国を出た後に、ラグを引き取ってもらえたのは嬉しかった。
最初の住居からドングリの木の庭の家に引っ越したら、リビングがフローリングだった為にラグを購入した。
日本に持ち帰るには引っ越しの荷物容積の関係で微妙だし、もともと米国在住の間だけ楽しんで、捨てて帰るつもりだった。
冬の寒い時期もラグのおかげで温かく過ごせて、毎日目にするその色合いをどうにも気に入ってしまって、大事に使っていた。
捨てるのも致し方ないと思ってはいたが、やはり忍びなくて家人に売りに出しててもらったのだった。
ワタクシ一番のお気に入りだったモノが売れ残るのが嫌で値札は5ドル。
会社の同僚を伝手に売りに出したらあっという間に買い手がついた。
家人が「嫁が大事にしていたから、グッドコンディションなラグやで」と説明したらしい。
そうして引き取ってくださった米人のご家庭のリビングに敷かれ、ラグの上で喜んで飛び跳ねる子供たちの写真がワタクシのケータイにも届けられた。
泣けるほど嬉しかった。
そんなこんなで家財はほぼ全て引き取り手を見つけてくれた。
我が家のアメリカ滞在記も、家人の帰国を持って本当に終了になる。
ばいばい、リスとドングリの木の庭。
ここまで書いてなんだけど、
彼が自宅に戻れるのはまだ2週間以上先のコト。
更に空輸の引っ越しの荷物は今週末には届くらしい。
まだまだのんびり安心するには早いね。
いまだ使いこなせず。
自主隔離4日目。
そろそろ神戸に戻るために準備にかからねば。
と思いつつ。
昨日からブログの右柱のプロフィールの内容を変えようといろいろと試している。
いったいどこに行けばココの文字を変えられるのか・・・
もはやドングリの木の庭に帰るコトはないと言うのに。(´;ω;`)ウッ…
日本に戻ったもののホテルに缶詰め状態なのと、時差ボケが完全に戻っていないせいもあり、日数の感覚がなくなってきた。
・・・リスとドングリの木の庭が恋しい。
帰国しました
本帰国しました。
6月8日にMIを発ち、その日はオヘア空港近辺のヒルトンに一泊して、9日にオヘア発。
10時間ちょっとの空の旅。
時差もあって10日の15:00くらいに着く便で。
風もよく、14:20には成田に到着。
このご時世ゆえ、乗機のタイミングから普段とは違う対応でした。
機内では厚労省・保健所(検査所)宛の数枚の書類を配布され、降機までに記入を促されます。
現在は降機からその後の検査、そして結果が出るまでの隔離などを経て、成田近辺のホテルにて自主隔離中です。
ムスメとワタクシ、幸いにも陰性でございました。
このコロナ禍で情報が錯綜する中、ワタクシや家人が参考にさせていただきましたのは、国からのアナウンスではなく、先んじて帰国されたブロガーさんの記事でした。
ありがとうございました。
ワタクシも情報を書いておこうと思います。
機内で手渡された必要書類などもいっぱい写真を撮ったりしているのだけれど、空港内の移動中には‘撮影はご遠慮ください’の貼り紙や、配布プリントにはSNSなどへの書き込みや写真投稿はご遠慮くださいとの注意書きも多く、画像に関してはこの後の帰国を予定している家人と知り合いへの情報共有のみにします。
機内で配布されたプリントの内容。
・厚労省と検疫所への移動や自主隔離地の申告
・個人情報共有の承諾書
自分で保管するものと提出する分と記入個所のある書類は3枚。
(それと普段の手荷物の申告書類ももちろんあります)
LINEに関しては厚労省のお墨付状態でのコロナ連絡ツールみたいですね。
機内でLINEの導入を強めに勧めている書類が配布されます。
LINE登録をしない場合は保健所から直電があるようです。
我が家は日本のケータイ番号が一つしかないので、二人分の連絡先としました。
よくわからないものにサインするのは怖いのでCAさんに確認しましたが、彼女たちも配布依頼されてるだけの書類なので、よくわからないものは検疫で直接質問することに。
結局LINE利用は選択していませんが、厚労省と保健所で情報の共有する内容の書類に何故かLINEも含まれていて、サインは求められます。コレは必須でした。
機内ではこれらの書類に必要事項を書き込んでおき、降機後に検査場所に持参します。
降機には順番があり、
1. 国際線乗り継ぎのヒト
2. 成田からの移動が、お迎えなどの送迎やレンタカーの配車で確保されているヒト
3. 成田からの移動が、検査結果待ちホテルを選択しているヒト。
ワタクシとムスメは3番目の降機です。
2~30分くらい待ちます。
順番に従い機内放送の呼び出しがあり、降機のタイミングから検疫の職員さんが待ち受けていて常に誘導に従わねばなりません。
当然ながら移動の時にマスクは着用必須。
ミシガンでたくさん作った布マスクを、自分と家族の分も準備してました。
いつも乗るJALでは機内のアメニティでマスクも入ってますが、今回は減便に次ぐ減便で希望日の就航がなくANAを利用した為、いろいろと勝手が違いました。
機内販売もないとアナウンスがあり、機内にいつも乗せてある冊子や吐袋やムービーガイドもなかった為、アメニティもないのだろうか?と不思議にも思ってなかったのですが。
マスクがないのは何だがサービス悪いなぁと思いつつ。
検査結果待ちの宿泊所でその夜にムスメに聞いたら「あったよ」と言われ大ショックでありました。
減便と減席で、恐らく違う席にセッティングされていたのか、セッティングし忘れだったかのどちらかでしょう。
さて、降機。
職員さんに従ってターミナル内を移動し、直接検査待ちの場所まで連れて来られてます。
簡易椅子がずらっと。ここで検査を2~30分くらい待ちます。
座る場所によっては少し早いかも。
入国審査やバゲッジクレームに行くのは検査後。
検査後の自主隔離とその場所への移動に関しては確実な情報が必要で、書類をあちこちで何度も確認されます。
公共交通機関が利用不可の為、自宅隔離やレンタカー移動にしても、手段が確保されていて明示できないとダメなようです。
検査受付で検体を入れる容器とQUARANTINEと書かれた半切れの紙を渡されます。
容器は検査官に渡して、紙は検査終了の目印なので入国審査の時に審査官に見せます。
鼻からの検体採取は、耳鼻咽喉科で治療を受けるのと同じ検査ですが、機内で乾燥気味の鼻腔内に綿棒を入れて検体を掻き取るので、粘膜が傷み気味のヒトは鼻血がでるかも。
アタクシは少し血が滲んでました。
検査の防護エプロンとフェイスガードしたおっちゃんおばちゃんに囲まれてギャン泣きの幼児続出。笑笑
検査後に入管に移動。
本帰国で引っ越しの別送品があるので、税関申告書は2枚必要。
申告書は割り印してもらいます。
あと、入国スタンプも必要。
今は入国スタンプが要る場合は申告せねば押してもらえません。
バゲッジクレームに移動すると、いつもの空港と違って回っているテーブルはなく、既に自分たちの大型スーツケースも下ろされていました。
その後、検査結果を隔離宿舎で待つ人たちはバス待ちの待機場所に移動。
例の段ボールベッドがたくさん並んでいますが、場所の割り振りも指示されます。
SIMカードとかを買うタイミングは今のトコロありませんが、今回は引っ越し荷物の税関審査を通す処理をしてもらわねばならないので、別送品の手続きの為にABCカウンターに行かねばなりません。
職員の方にお願いして、ABCカウンターに連れて行っていただきました。
ワタクシの他に、荷物発送を依頼する女性もお一人いらっしゃいました。
彼女はVISAとⅠ94の更新のための帰国だと言っておられました。
ワタクシは、このタイミングでの一時帰国は本当にメンドクサかろうなぁと思いましたが、彼女は「このタイミングでの本帰国は大変だったでしょう?」と労わってくださいました。
お互いに大変ですねぇとマスク越しに笑い合いました。
我が家もスーツケースを送りたかったのですが、荷物預かりは発送の7日前かららしく、検査と結果待ちの2日間を含めて、陰性であっても14日間の自粛を必要とする今回の帰国では、自宅への荷物発送は受け取り不可能。
カウンターではパスポートの入国スタンプのコピーを取ってもらい、別送品の税関申告書(割り印付き)を提出します。
コレでシカゴで止まっている我が家の引っ越し荷物を、船と空の二便で日本に向かわせることが出来ます。
ABCカウンターにはsimカードが売っていたので、30日用のモノを購入。unari君ってなんだ?と思いつつ。
結果待ちの宿舎は事前には教えて貰えませんでした。
成田近辺の宿泊になると思っていたのですが、バス移動時間だけで45分以上かかったので相当遠くまで移動した模様。
車内設備は全てビニールで保護された物々しい状態で、窓の外も見られませんでした。
到着したのは東急東京ベイ。
この時点で既に17:50でした。
今回はANAでの帰国ですが、機内は多分スカスカ。
少なくともワタクシの座席近辺は着座率2割くらいでした。
成田近辺だけでは大きめの部屋が足りないのか?
検疫所のヒトの説明によれば、結果が出るのは2日後の6/11を予定されてるようですが、それもはっきりとは名言されておらず、遅れることはあるようです。
宿舎の部屋には検査結果待ちの過ごし方手引きが置かれており、熟読するように言われます。
また、基本的に検査結果待ちの宿舎はどこも10:30までの退所のようです。
退所の順番も決められています。
・家族や友人による迎えやレンタカーの配車待ちだったヒト
・羽田方面移動のヒト
・成田方面移動のヒト
の順で館内放送にて玄関前に誘導され、10:30が最終です。
隔離場所や移動手段を明記したものを提出しているので、これもおそらくカウントされていると思います。
ワタクシ達は検査結果待ち宿舎が成田近辺のホテルだと思い込み、万が一引っ越し荷物の税関手続きをし損ねた場合を考えて自粛期間の宿泊予約を成田近辺にしましたが、これなら羽田近辺でも良かったかも・・・。(*_*)
宿舎で提供される三度のお弁当はとても美味しいですが、ワタクシとムスメが完食する量ですので、一般的には多分少なめです。
成田内での移動は飛行機を降りる時からずっと誘導される状態で、残念ながらおやつを買える場所もスキもありませんでした。
オヘアでもっとLAYSを買ってきたら良かった。(´;ω;`)ウッ…
家人ならハラヘリ確実。
事前に空腹対策のモノを買っておくのを勧めたいところです。
もしかすると宿舎内で空腹を訴えれば何らかの軽食を出してもらえるかもしれませんが。
ここを出た後に巡回バスが予約ホテル近隣を通るコトは確認済みです。
結果が出た後に乗る空港方面巡回バスは一回だけ利用できる片道ルートです。
また、自己隔離滞在先には陰性結果が出ないと移動できません。
降機から隔離宿舎を出発するまで、ずーっと職員さんに誘導されて付き従うのみで、脇道には逸れられません。
検査結果待ちによる予約の日時変更は無料にしておられるホテルが多いですが、今のタイミングなら結果が出るのに2日必須と考えて間違いないようです。
ホテルからすれば、前日キャンセルが無料とか迷惑過ぎるけれど、帰国するまでに身を寄せる先の情報が必要で、正確な情報がない状態では迷惑と知りつつも早めに予約せざるを得なくて。
申し訳ないけれど、一先ず有難く一泊キャンセルさせていただきました。
検査結果次第によっては全キャンセルなのですが。(^^;;;
11日の夕方、検査結果の電話が入りました。
12日の朝、ワタクシとムスメは宿舎を出て巡回バスに乗り、予約通りのホテルにチェックインできました。
ホテルの従業員さんや保健所の職員さんでしょうか。
「お疲れさまでした。お気をつけて」とバスの出発を皆さんが見送ってくださいました。
空港職員さんもそうでしたが、防護服を着て検査するヒト、マスクで誘導するヒト、多くの方がエッセンシャルワーカーとしてワタクシ達のお世話をしてくださいました。
暑い時期に、きめ細やかに、本当に有難く思いました。
海外生活の大事な最後の数か月がこんな状態で、何もかも台無しだという重い気持ち。
はっきり言ってもうこんなコトは二度とご免です。
しかし、日本に帰国した最初のタイミングでひどい経験をしたイメージがないのは、おそらく、多くのヒトの真心を感じたからかもしれません。
今日もきっと帰国者は恐れながら帰国してきます。
大変な職場で、あくまでも仕事と割り切っているヒトも多くいらっしゃるとは思いますが、笑顔で迎えてくださることで安心できました。
読んでもらえることはないかもしれないけれど、ありがとうございました。
自粛期間はあと11日。
ラジオ体操で乗り切ろうと思います。(・∀・)
FHN Northern Choir You Tube
G12のムスメにとっては、来週の Cap and Gown celebration が卒業式代わりの、最後のイベントとなる。
学校の駐車場で車から降りることも許されずに各所を回って、学校の備品や成績証明や卒業証書を受け取るドライブスルー卒業式。
1月下旬。
毎年発行されるYearBookの写真撮影用に、ムスメの所属するDiversity Club でTシャツを作ることになり、ムスメの絵が採用された。
ムスメの喜んだ顔が忘れられない。
しかしロックダウンされて、休校になって写真撮影は行われなかったし、結局 Tシャツが作られるコトもなかった。
SATの再受験も、プロムも、所属するChoirクラスの最終コンサートもなくなった。
例年Choirのクラスは4月に最終コンサートがある。
卒業イベントでもあるので、卒業生はみんなが歌う機会がある。
1年目はConcert singer
2年目はWomens choir
3年目はChorale
4年目はNorthern singers
歌を歌うことが大好きな子たちが、最終学年まで選択し続けるChoir。
(アカデミックな授業とは違い、副教科扱いなので本来単位取得に必須なのは2単位)
副教科を4年まで履修すると言うコトは、アカデミックな単位を二度まで受けなおせる再履修のチャンスや、大学進学後の授業単位も高校で取得できるチャンスを犠牲にするコトに等しい。
一教科単位で学費のかかるアメリカの大学では、結構大きな一枠である。
その Noethern singers の You Tube が配信された。
ムスメはChoraleなので2020の同級生とは言えども、声すらかかっていないのだが。
とても複雑な思いを抱えて見る動画。
入れなかった、無くなった、自分の卒業式。
同じ思いを抱える2020の生徒は多いだろうし、こんな時だから、自分のムスメに対して特別の同情を寄せてもいいと思っている。
Stay Homeで全ての家族がそれぞれの事情を抱えているに違いないけれど。
自分の責任ではない、自分特有の特別な事情でもないのにこんな学年最後を迎えるのは、彼女にとっては一生に一度の思い出がフイになってしまった。
一所懸命に頑張ってきたのだから、こんな時くらいは。
これが終われば、帰国まで間がない。
2016年の独立記念日の二日後にアメリカに入国し、2020年の6月初旬に日本に戻る。
我が家にとってのアメリカ生活もあと3週間。
掃除ばっかりしてる。けど片付かない。
昨日はまたもや やってしまった。
書いて書いて、ちょっと放置してるまにPCが固まっちゃって、書き溜めてた文章が消失。(´;ω;`)ウッ…
同時に作成中だったムービングセールの品一覧表も消失。(´;ω;`)ウッ…(´;ω;`)ウッ…(´;ω;`)ウッ…
画像やサイズをびっちり書き込んだ6P分が・・・
手動で保存しておかなかった自分が悪いとはいえ、悲しくて寝ちまいましたよ。
で、さっきそれを一からやり直してようやく仕上げたので。
書いてる間に20回くらい上書き保存したわ。
あつものにこりてなますをふく状態。
昨日書いてたガレージセールの話は短縮版で覚えてるトコだけ復活。(笑)
今は本帰国に向けての整頓中。
本来ならばご近所さんへの引っ越しのあいさつを兼ねて、ガレージセールのお知らせをする予定でしたが。
服や家具や細々した不用品を家の前に並べて、友人たちに手伝ってもらいながら金銭のやり取りをするガレージセールは、今のこの状況ではほぼ無理なので。
しかし日本に持ち帰るには多過ぎるしそもそも不要なので、社内メールで売りに出すことに。
100Vへの変圧器とか、日本の電化製品を使うためにしか要らないし。
社内メールと同時に友人にもアナウンスする予定。
とはいえ、まだ帰国の予定は全く立っていないので、今回は概ね不要なものばかりのラインナップ。
今後は第2弾、第3弾と使用頻度の高いものが追加されていくハズ。
荷物を処分する一方で、赴任者は帰国に向けてお土産なども買い揃えるのがよくある話なのだけど、当然趣味のお店とかは軒並み臨時休業中で。
食料品の扱いのないDIYの店とかでも水曜と土曜しか開いてなかったりするのに、ファッションモールやデパートが開いてるわけもなく。
エッセンシャルワーカーの安全の為にも入店はマスク着用必須で、ソーシャルディスタンスを守るために人数制限があります。
食料品を買うにも時間によっては店外で並んで待たねばならず、10日に一度の買い出しは時間がかかるのであります。
日本人に人気のあるトレーダージョーズとかは、あさイチの時間帯だと40分くらい待たねばならなかったり。
今もまだ10℃以下のお天気がザラなので、あったかくして出かけるのが良いです。
そんな中。
学校から、VANSとのドネートコラボTシャツのメールが来ました。
ハイスクールカラーの青をオーダーし購入画面で合言葉を書けば、購入金額は学区内でドネートを必要とする生徒と家庭に対して100%のドネートになる、とのコト。
すぐに届くと書いてあるし、ムスメの友人へのプレゼントにも丁度良いので、自分の分を含めて3枚購入致しました。
ネットショッピングでオーダーしても、引っ越しまでに届かねばならないので買うなら今がラストチャンスくらいだったりするし、何日くらいかかるんだろう??とちょっぴり心配になりながら。
翌5月2日。(今、アメリカは5/3なので、5/2は昨日)
ちなみに日記の日付が5/4なのは、PCを日本時間にしてるからです。
日本の夜9時頃から日本に帰国した友人とネット飲み会を始めました。
ミシガンは朝の8時。STAY HOMEだから問題ない。(笑)
楽しく話して数時間。
途中に玄関で物音がしたのに気づいたけれど呼び鈴ではなかったし、配送業者は必ずメッセージを送ってくるので放置してました。
ネット飲み会が終わった後、玄関を開けてみるとTシャツがむき出しのまま玄関マットの上に3枚置いてありました。
さすがアメリカ。大爆笑してしまった。
すぐに届くって言うのは、既に買付けてあったものを高校の有志が配送してたのかも。
一応ふんわりと畳まれていたので、コレも誠意の一つでしょう。
ウッカリ、洗濯物が飛ばされてきたのかと思ってしまうトコロでした。
赤一枚と青2枚購入。かわいい。
日本にも配送されるようです。
ミシガンで受け取るとスタンダード配送料$5追加でしたが、日本へはshipping freeみたい。
謎な料金設定なんだけど、Gone Bordingと言う名の通りってコトなのでしょう。
行くモノ、来るモノ。
荷物は一向に減らないなぁ・・・
葉物野菜は常に足りない今日この頃。
stay homeの続いているミシガン州。
このひと月で買い物に出かけたのは3回。
買い物してきたものはすぐに屋内に入れずガレージに2日ほど放置するか、必要なものは除菌ワイプで丁寧にパッケージを拭いて冷蔵庫や冷凍庫に。
出かける時に着ていた上着はガレージではたいて、屋内に入れないように掛けておく。
手洗いは石鹸で入念に。
配達された手紙なども、昼過ぎに配達されるので翌日の昼前に取り込んで、その後丸一日はガレージに放置。
やりすぎ?
いいえ、現地在住の日本人やワタクシの友人はみんな同じように対処しています。
アジアンな見た目は如何ともしがたく、地域によっては排斥運動にまで繋がっている今回のコロナ禍で、みんな口には出しませんが自分が禍を振りまく元凶には意地でもなりたくないのです。
アジアンの見分けを欧米人に求める方が無理ってもんですから、いろんな厄災から逃れるために出来るだけ外出を控えています。
最初のロックダウン期限は4/13でしたが、当然のように4月末まで延長しました。
13日あたりはミシガン州の発病者や死亡人数は急上昇中で全米で3位か4位に位置しており、州知事のロックダウン延長の発表はある意味当然だったと思われます。
結果、ムスメはリモートでレポートの提出をする授業を一教科だけ続けています。
その他の教科は3/13付のGPA評価で後期単位を取得。
卒業証書の授与や成績の評定や証明などの送付については、いまも学区内では大騒動状態が続いていて、帰国に向けた必要書類の取得が明らかになりません。
VISAの期限はまだまだ余裕があるものの、Ⅰ94の期限や賃貸の更新期日が迫る中、こちらの一方的な都合を学校に押し付けるわけにもいかず、ジリジリとした毎日です。
日本に帰っても例の検査を受けたのちに2週間の自主隔離は確定で、関西まで乗り継げないし公共交通機関も使えない。
運よくレンタカーを手配できても借り受けや返却はどうするのか?とか、
移動するにも隔離中の人間がSAやPAでトイレを使ってよいのか?とか、
そもそも手荷物トランクの受け取りとかルーターとかのレンタル機器の受け取りは可能なのか?とか
自分の都合を優先にすれば言いたいコト知りたいコトは山ほどありますが・・・
いろいろ問題山積過ぎて思考停止なんです。
疲れた。笑
4/23の9:00AMの段階での発表では以下の通り。
今も死者数は全米3位ですが、新規陽性患者数が一日に1000人越えていた3月第4週~4月第1週の2週間からすれば、現在は半減以下になりました。
州ごとに統計は取られていると思いますが、ミシガン州の統計を見ると市ごとにエリア別発生数も一覧で発表されています。
もっとも感染者数の多い地域はデトロイト。
近隣のウェイン、マコームはデトロイトと合算されてたり別になってたりするので地域ごとの表で見ないと分かりにくいのですが、オークランドを合わせたこの4つの地域でミシガン全体の患者数の75%以上を占めます。
あえて書きますと、国民保険のない米国では医療保険は個人で入らねばならず、保険のないヒトは病院からはびっくりする額の請求所が届きます。
そんな地域で、無保険のヒトに感染者が出たら?
感染者は爆発的に増え、医療は受けられないヒトが続出したことは言うまでもありません。
日本では陽性・陰性・擬陽性・偽陰性の一覧表と数式等を説明してくれているサイトや検査に至る必要性を説く医療従事者も多いと思います。
有難く受け入れてそれに従うヒトも多いし、普段からの自己管理や衛生観念が身についている為に今までたまたま無事に過ごせた人もいらっしゃるでしょう。
不運にも感染者として判定が出たとしても、必要があれば医療のお世話になることも不可能でない場合の方が多いでしょう。
完全なものはこの世にはないと思っていますし、今起きているこの状況は日本の医療が不完全なせいではないのです。
ロックダウンで米国の経済が今後どうなるのか。
既に国民への手当てとして失業や休業の補償が決まり、ローンや賃貸の支払いの延滞が認められる動きのあるアメリカですが、全米各地ではロックダウンに対するデモが起きています。
ワタクシの住んでいる地域では感染爆発もデモは今のトコロ起きていませんが、ミシガン州内では起きています。
補償を約束されていても、全米3位の死者数のミシガンであっても、ロックダウンに対するデモが起きるのです。
選挙の年であるコトも大きな理由かもしれませんが、民主党支持だろうが共和党支持だろうがどうでもいいから家に居てほしい。
ミシガン州知事を支持してるからではないし、ワタクシに選挙権のないことが理由でもなく、今のこの状態でソーシャルディスタンスの守れない大勢の人が集まるトコロに行くコトが危険に思えてならないからです。
*1:
国民保険のない米国では医療保険は個人で入らねばならず、一般的な診療にかかる請求は、一つの作業に付き1請求書が届きます。
ムスメの骨折を例に挙げると、
・アージェントケアでの初診(簡易固定)
・アージェントケアでのレントゲン撮影
ここで専門医の受診を強く勧められる。(当然、専門医は自分で予約せねばならない)
専門医への初期状態報告の為、レントゲン撮影データ(の購入が必要)を持って、一週間以内に専門医へ。
・専門医での初診
・専門医でのレントゲン撮影
・専門医で簡易固定から患部保護具に変更
・専門医での診察 ×3回
覚えてるだけで ↑ 完治までにこれだけの請求書があります。
会社加入の保険を利用しても、自腹出費で500ドル弱かかりました。
レントゲンデータ購入は別の病院に行かねばならなかったし、レントゲン撮影や診察や保護具の請求は別部署からの請求所が届きます。
我が家では利用することはなかったけれど、友人の話によると救急車の利用で1500ドルの請求が来たとか。
ムスメ、6歳と144か月
*タイトルを訂正しました。
148→144としたかったのだけど、タイトルは横線で打ち消せなかった。(笑)
4/5はムスメの誕生日だったので、アラスカから直送されたマグロを使って手巻きずしにした。
現地在住の日本人の間では「おさかな便」と呼んでいる。
各種様々な海鮮商品の通信販売を今年の2月半ばにオーダーし、20日頃に配送されてきたそれを、複数人の注文者で分け合った。
その後、ガレージの冷凍庫で保管していた。
まだこの頃は友人と会って話すことも、共同で買い物をして分け合うこともなんの躊躇もなくできていたのだが。
この後のアメリカはあっという間にロックダウンになった。
このおさかな便でタコを買った時には大喜びで みんなでたこ焼きをしようと話していたのだが、当然お流れになった。
ムスメの誕生日の具材メニュー。
マグロとワサビとアボカドを一緒に叩いたもの、
マグロとニンニクとネギとごま油を一緒に叩いたもの、
シーチキンと玉ねぎをマヨネーズで和えたもの、
キュウリの梅昆布和え、
卵の厚焼きを棒状に切ったもの、
緊急事態の状態で買い物にもろくに行けず、いろいろ品薄な現状でも誕生日くらいは食べたいと思うものを食べさせてやりたい。
卒業式もおそらくお流れ。
卒業に向けたいろんな行事もすべてお流れ。
注文したガウンもキャップも届かない。
本帰国を間近に控え、気落ちしたムスメをなんとか励ましたいのだけれど・・・
何とも言えない喪失感
志村けん、スカパラに期間限定で加入 華麗な三味線演奏にバカ殿も釘付け 『キリン氷結』WEBムービー
志村けんさんの訃報が寂しくてならない。
昨日初めて知った時はただただショックだったが時間がたつにつれ・・・
物心ついた幼児の頃からすこぶる面白いおじさんのイメージで、テレビで見ない時期はなくて、いつもとびきりチャーミング。
ワタクシの人生の中で、最も素敵に変なおじさんでした。
ご冥福をお祈りいたします。
"stay home” order ですよ。
日に日に感染者の増える北米。
日本の複数の友人がメッセージを送ってきてくれる日が大体被るので、恐らく連日の報道でアメリカの事情も流れてるのでしょう。
先週末以降に爆発的に増えましたが、コレは紛れもなく欧州便の停止と関連していると思われます。
ワタクシの周辺でも、なかなかの大騒動になっております。
なんせ既に我が州の感染者数は日本越えてしまいましたから。爆速。
昨日の朝、州知事の会見がbraking news で流れました。
'stay home’ order と。
「みんな手を洗い、公衆衛生に気を遣い、三週間自宅に篭ってください」
その日の夜、24日24時に施行されました。
それに従い学校閉鎖は最短でも4/13まで延長となり、高校からは必要とする全生徒へのchrom book貸与がなされる算段が整ったと昨日連絡がありました。
我が家は「不要」と返信してますが、ムスメの学校だけで500台余り準備をしたそうです。
これだけの準備をする以上 予定通りの4月を迎えられるとは思えませんし、今現在の状況では準備をし過ぎて後で笑えるほうが幸せですから、その為に労を尽くすのは当然だと思います。
10人以上での会合が禁止されるのですから、図書館を始めとする公共施設、ホールなどでの興行、ファッションモールなど生活に直結するとは言い難いショッピングセンターや遊興施設はもちろん全てシャットダウンです。
ムスメは最終学年なので、卒業までのいろいろなイベントが計画されていましたが、それらは全てキャンセルになりました。
卒業単位が修得できたので、後期になってから難民支援のボランティア応募しようやく活動を始めたトコロでしたが、それも難民支援センター自体が閉鎖されました。
外出禁止となっても必要な物資の準備はできるよう、各家庭で一人が原則ですが最小限の外出は許されています。
グロッサリーは開いてるけど開店時間が縮小されたり、対人は6ft離れるように床にマーキングされたり、持参した買い物袋の使用は不可など、感染を防ぐためにいろんな制限が追加されました。
オットの仕事はエンジニアですが、PCで図面見たり計算したりチェックしたりするのがメインの仕事で、基本的には移動もなく、不特定多数のヒトとの接触もありません。
作業の効率を考えると車で15分の距離の会社に出社し、ソコで作業するのが一番なのですが、リモートワークを推奨され始めた先々週から多くの米人はリモートワークに移行しました。
夜間に入るオフィスの清掃やベンダーなどの管理を考えると、これ以上ヒトの出入りを防ぐには会社をシャットダウンする以外にないワケです。
よって会社も州の方針に従うべく昨日の24時でシャットダウンされました。
午後にでっかいディスプレイを会社から持ち帰ってきたので、ダイニングテーブルをワーキングスペースにするべくベースメントに移動したりしました。
今日からオットは地下室で静かに在宅ワークです。
ワタクシは3週間分の備蓄の為、コストコに画像の青海波のマスクをつけてお買い物に出かけました。
コストコは現在、60人の入店で制限し、オープンエアの店舗入り口で順番に並びます。入店待ちの時間に消毒薬でカートを拭けるよう、クロロックスのワイプが設置してあります。(しかし一般に売ってる消毒薬は現在品切れ中)
日本でもコストコはenterとexitが分けられてますが、北米のグロッサリー店舗は同様に分かれている所が多く、walmartを始めとするチェーン店などでは自動ドアなので取っ手を触る必要すらありません。(引き戸式の日本と違い、進行方向に観音開きの自動ドア。最初はビビります)
コレは6ft以上離れて接触を避けるにはとても理に適ったなシステムで、無用の混雑や停滞を省くにも優れた発想だなぁと、今になって思います。
マスク人口はいまだに低いし、どこに行っても売っていません。
おそらくアレルギー対策に事前に準備していたとか、医療関係者でぎりぎりまで手に入ったなどでないと、手元に使い捨てのマスクはないと思います。
昨日はコストコで何人かのマスク着用者とすれ違いましたが、一般的な使い捨ての白いマスクはごく少数で、多分1人か2人。
他は防寒用の顔半分を覆うマスクを被ったヒトや、マフラーで口元を覆うヒト。
SサイズのDIY用防塵マスクを、LLサイズのおじさんが着けているのも見ました。
青海波のマスクは二度見されたりしましたが、この際なので着けたモン勝ちと開き直るコトにします。